ポーランド共和国(ヴァドヴィツェ)
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車窓 |
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シフィドニツァを後に、ヴァドヴィツェへ向かいます。 |
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ジムニツェ・ヴィエルキエ村を通過中。 |
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ピエロギ |
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途中のレストランで昼食に出たのは、ポーランド風餃子のピエロギ。 |
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スモリツェ村を通過中、ヴィスワ川を渡る。 |
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カティンの十字架 |
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ヴァドヴィツェに到着、駐車場近くに設置されていたモニュメント、カティンの十字架。 |
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聖母マリア奉献の母教会 |
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聖母マリア奉献の母教会、ヴァドヴィツェ大聖堂とも呼ばれる、クラクフ教区のローマ・カトリック教会。 |
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聖母マリア奉献の母教会 |
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木造の教会は火事で焼失したが、15世紀にレンガ造りの教会が建てられた。
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聖母マリア奉献の母教会 |
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教会の礼拝堂内へ入ります。 |
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聖母マリア奉献の母教会 |
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歴史によるとヴァドヴィツェに村ができ、人々が暮らし始めたのは10世紀頃との事。
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聖母マリア奉献の母教会 |
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18世紀、ロシア帝国の従属国と成っていたポーランドは、第一次ポーランド分割を受け入れ、ヴァドヴィツェはオーストリア領ガリツィア王国となる。
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聖母マリア奉献の母教会 |
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ヴァドヴィツェは現在、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の生誕の地として聖地に成っていて、主に観光業で成り立っている。
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聖母マリア奉献の母教会 |
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ローマ教皇はカトリック教会の総本山、サン・ピエトロ大聖堂を持つ、バチカン市国の元首でもある。 |
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聖母マリア奉献の母教会 |
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ローマ教皇に選出されるには、教皇の職務を手助けする、最高顧問である枢機卿の中から、教皇選出選挙、コンクラーベでの投票による。 |
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聖母マリア奉献の母教会 |
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選出された新教皇は、歴代イタリア出身者が多かったが、ポーランド出身のヨハネ・パウロ2世は4世紀半ぶりの、イタリア人では無い教皇となった。 |
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聖母マリア奉献の母教会 |
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教皇は2005年まで地位に付き、84歳で亡くなるまでの26年半の在位は、史上3番目の在位期間だった。 |
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聖母マリア奉献の母教会 |
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大学生の時、ナチス・ドイツの侵攻によってポーランドが占領され、通っていた大学は閉鎖された。 |
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聖母マリア奉献の母教会 |
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枢機卿に成っていた1978年、58歳の時に、当時の教皇ヨハネ・パウロ1世が在位一か月で急逝する。
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聖母マリア奉献の母教会 |
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新教皇に就任した当時、故郷ポーランドは共産党独裁下の社会主義国で、ソ連の従属国と成っていた。 |
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聖母マリア奉献の母教会 |
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ポーランドでの抵抗運動は、やがて東欧各国の民主化運動へと広がって行く。 |
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聖母マリア奉献の母教会 |
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1989年連鎖的に共産主義体制が倒された、反共産主義革命、東欧革命が起き、米ソ首脳会談により東西冷戦は終結した。 |
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ヨハネ・パウロ2世広場 |
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教会前の広場、ヨハネ・パウロ2世広場の風景。 |
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ヨハネ・パウロ2世広場 |
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教皇暗殺未遂事件が発生したが、教皇は奇跡的に命は取り留めた。 |
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ヨハネ・パウロ2世広場 |
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ソ連のKGBが企て、東ドイツやブルガリア人民共和国などが協力し、教皇を抹殺しようと図ったのだ。 |
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ヨハネ・パウロ2世広場 |
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新教皇は着任後、世界各国129か国を訪問し、平和活動を行った。 |
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ヨハネ・パウロ2世広場 |
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教皇は勉強熱心で、覚えた各国の言葉で簡単なスピーチも行えた。 |
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ヨハネ・パウロ2世広場 |
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この建物は教皇の生家。 |
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ヨハネ・パウロ2世広場 |
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教会の北側に建つ市庁舎の建物。
写真をクリックして下さい。 |
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聖母マリア奉献の母教会 |
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教皇はユダヤ教のシナゴーグへも訪問している。 |
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聖母マリア奉献の母教会 |
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教皇は他宗教に対して柔軟な対応を積極的に行った一方で、カトリック教の教義に於いては伝統を守り保守的で、例えば女性の聖職者を認めないなど、頑なだった。 |
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教皇の記念碑 |
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教皇の記念碑。 |
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車窓 |
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ヴァドヴィツェを後に、世界遺産のカルヴァリア・ゼブジドフスカへ向かいます。
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