ポーランド共和国(アウシュビッツ)
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アウシュビッツへ |
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クラクフから西へ50k、オシフィエンチムの街へ向かう。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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モダンな創りの、アウシュビッツ強制収容所の入り口ゲート。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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アウシュビッツ強制収容所の入場チケット。 |
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アウシュビッツへ |
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アウシュヴィッツ強制収容所に残る遺構の一つ。
写真をクリックして下さい。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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アウシュビッツ強制収容所にて、筆者近影。
写真をクリックして下さい。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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そのユダヤの民とは何か。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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ローマ帝国に滅ばされ、ユダヤ人イスラエル民族は各地へ離散、流浪の民となった。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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各地に散ったユダヤ人の事を人々は、ユダヤ教を信仰する人々と捉える様になる。
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アウシュビッツ強制収容所 |
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13世紀、ポーランドのボレスワフ公はポーランドに暮らすユダヤ人の社会的権利、宗教や商業の自由などを保障した。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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14世紀、キリスト教徒から異教徒として迫害を受けていたユダヤ人達は、ドイツやチェコ・ボヘミア地方からポーランドへ移住して来る。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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収容所入り口の門の上に掲げられている、ドイツ語で、ARBEIT_MACHT_FREI、の文字。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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働けば自由になれる、のBの文字が上下逆さまになっている。
写真をクリックして下さい。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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ヨーロッパ各地のキリスト教社会においては、ユダヤ人に対する差別や迫害は繰り返されていた。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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金融業で巨万の富を築く、高利貸しのユダヤ人は反感を買っていた。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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その結果、ユダヤ人は他の民族や文化と交わらない劣悪な人種で、世界が抱えている諸問題の根源だ、と考える様になった。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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これから建物の中へ入ります。
写真をクリックして下さい。 |
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展示物 |
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展示物。 |
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展示物 |
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処刑されるユダヤ人達は、身ぐるみはがされる。 |
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展示物 |
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おびただしい数の空き缶。 |
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展示物 |
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無数の靴。 |
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展示場物 |
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列車で移送されて来たユダヤ人達。
写真をクリックして下さい。 |
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展示物 |
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ガス室のジオラマ模型。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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反ユダヤ主義は、ユダヤ人居住地を都市の外へ追い出し、壁で囲み、自由な行動を制限する政策へと繋がって行く。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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ドイツでは15世紀頃から、旧約聖書のアダムはドイツ人であり、ドイツ人こそ世界を支配しうる、とするゲルマン民族優越思想が現れる。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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君主制独裁国家ドイツ帝国は第一次大戦に敗北、皇帝ヴィルヘルム2世は亡命、帝国は崩壊した。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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第一次大戦での戦勝国とドイツ国との講和条約、ベルサイユ条約で、新政ドイツ国は途方も無い莫大な賠償金を支払う事となり、ドイツ国の経済を苦しめる事となる。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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シレジア地方がドイツ領に成りかけると、ポーランド人による武装蜂起、シレジア蜂起が起きる。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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ウォール街大暴落に始まる世界恐慌により、ドイツ経済は行き詰まり、その逼迫した状況は大量の失業者を出す事になった。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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やがてナチ党は大躍進、第1党となり、アドルフ・ヒトラー率いてドイツ国の権力を掌握して行った。 |
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展示物 |
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ユダヤ人達が実際に収容されていた部屋。 |
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展示物 |
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収容所内は衛生環境も劣悪だった。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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強制収容所の監視塔。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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強制収容所の周囲には、高圧の電気が流れる有刺鉄線の壁が囲んでいる。
写真をクリックして下さい。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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ヒトラーの父親は父権主義で、子供に干渉し、子供の意志を無視して自分の考えを押し付けた。
写真をクリックして下さい。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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ヒトラーの父親は母国のハプスブルク帝国の支持者であり、敵対するドイツ帝国を毛嫌いしていた。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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学生時代のヒトラーは学力不足で、進級もままならず、その後の受験にも失敗する。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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反ユダヤ思想は異民族差別などから、各地で古くから根付いていた。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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ここは死の壁。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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アウシュビッツ強制収容所にて、筆者近影。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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第一次大戦が始まると、成人したヒトラーはバイエルン陸軍歩兵連隊の義勇兵となる。
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アウシュビッツ強制収容所 |
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ドイツ愛国主義だったヒトラーは、ドイツの降伏で第一次大戦が終結した事に、とてつもない精神的なダメージを受ける。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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この柱と乗っている鉄道のレールは、当時収容者を集団でつるし首にした所。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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出所後ヒトラーは、民衆を引き付けるカリスマ的な演説によって、国民の支持を得、ドイツ国首相に任命された。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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こうしてヒトラーに権力を集中、独裁体制を築き、ドイツはナチス・ドイツへと変貌して行く。
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アウシュビッツ強制収容所 |
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敷地外に隣接して残る建物は、アウシュビッツ強制収容所の所長、ルドルフ・ヘスの邸宅。 |
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ガス室 |
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ここはガス室。 |
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ガス室 |
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ガス室の入り口の風景。 |
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ガス室 |
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がらんと、だだっ広いガス室。
写真をクリックして下さい。 |
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ガス室 |
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ガス室付属の焼却炉。 |
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ガス室 |
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遺体の焼却処分は、焼却炉を使う前は野外で野積みして焼却していたが、悪臭がひどく周囲に広がり、収容所周辺の住民にナチスの行為が噂になり、高温で焼却できる焼却炉を使う様になった。 |
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ガス室 |
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ガス室の全景。 |
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アウシュビッツ強制収容所 |
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いったい何人の人が、ここで殺害されたのか。
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ビルケナウ強制収容所 |
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所変わってここは、ビルケナウ強制収容所。 |
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ビルケナウ強制収容所 |
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一度入れば死しか待っていなかった、ビルケナウ強制収容所の死の門。 |
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ビルケナウ強制収容所 |
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ポーランド同盟国のイギリスとフランスがドイツに宣戦布告、第二次世界大戦が勃発した。
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ビルケナウ強制収容所 |
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ビルケナウの内側からの風景、輸送に使用した鉄道の引き込み線。
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ビルケナウ強制収容所 |
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クラクフにはその後、ナチ親衛隊で残虐な事で悪名高き、アーモン・ゲートがプワシュフ強制収容所の所長としてやって来る。 |
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ビルケナウ強制収容所 |
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広大な面積のビルケナウ強制収容所、最大で9万人収容された。 |
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ビルケナウ強制収容所 |
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ユダヤ人を乗せて来た貨物列車。 |
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ビルケナウ強制収容所 |
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第二強制絶滅収容所がビルケナウ、第三強制絶滅収容所がモノヴィッツ。 |
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ビルケナウ強制収容所 |
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ユネスコでは、この様な愚かな事が二度と起こらない様にと、アウシュヴィッツ・ビルケナウ、ナチスドイツの強制絶滅収容所、として世界文化遺産に登録された。
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ビルケナウ強制収容所 |
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強制収容所に収容された人の内、労働力のある人は延命できたが、年寄、子供は直ぐに処刑された。 |
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ビルケナウ強制収容所 |
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第二次大戦で壊滅的な被害を受けたポーランドは繁栄と崩壊、独立と滅亡を繰り返した歴史を持つ。 |
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ビルケナウ強制収容所 |
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8世紀ポピェリド家が族長として地方を治めていたが、後続の族長としてピャストが選ばれ、ピャスト朝が誕生する。 |
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ビルケナウ強制収容所 |
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チェコ、ボヘミアの王朝プシェミスル朝はキリスト教で、その姫と結婚したミェシュコ1世はキリスト教の洗礼を受け、改宗する。 |
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ビルケナウ強制収容所 |
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更に領土を広めて行ったポーランド公国は、この頃には現在の領土とほぼ一致するまでになっていた。
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ビルケナウ強制収容所 |
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カジミェシュ1世の治世時に首都はクラクフに遷都された。 |
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ビルケナウ強制収容所 |
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ヴワディスワフ3世によるシロンスク公国の離反独立、コンラト1世によるドイツ騎士団に対してのプロイセン領有権の付与、モンゴル帝国の侵攻によるクラクフ公領の略奪、ポーランドとプロイセンとの争いなど、分裂時代は荒波の時代で、ポーランドは弱体化して行った。 |
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ビルケナウ強制収容所 |
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ビルケナウ強制収容所内の収容施設。 |
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ビルケナウ強制収容所 |
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14世紀クラクフ公だったヴワディスワフ1世がポーランド王となり、息子のカジミェシュ3世の治世でポーランドは再統一された。
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ビルケナウ強制収容所 |
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ヤギェウォ朝に入ると黄金時代となり、文化や芸術の花が開く。 |
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ビルケナウ強制収容所 |
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ビルケナウでは大戦末期に多くの建物は破壊され、残っていない。これは非人道的行為を隠すため、と言われている。 |
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ビルケナウ強制収容所 |
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戦後、滅亡したそれぞれの帝国の領土はポーランド第二共和国として独立、ドイツによるポーランド侵攻により第二次大戦が始まるまで続く。 |
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ビルケナウ強制収容所 |
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死の門を背に筆者近影。 |
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ビルケナウ強制収容所 |
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1980年代後半、ソビエト連邦崩壊につながる、東欧革命が共産主義国家で勃発。 |
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強制移送用の線路跡 |
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これでアウシュビッツと、ビルケナウ強制収容所の観光はおしまい。 |
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聖三位一体教会 |
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クラクフへの帰り、オシフィエンチムの街の北東郊外にある、ボブレク村を通過中。
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