ポーランド共和国(ヴィエリチカ)
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ヴィスワ川 |
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クラクフの近郊、南東15k程にあるヴィエリチカの街に向かいます。 |
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ヴィエリチカ岩塩抗 |
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ここはヴィエリチカの街に在る、ヴィエリチカ岩塩抗。 |
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シド・ダニウォヴィツァ竪坑 |
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入り口建物の上にシド・ダニウォヴィツァとある。 |
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石碑 |
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入り口前の花壇に置かれていた、ユネスコ世界遺産リストに登録された事を記念する石碑。 |
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坑道 |
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ここから岩塩抗の観光の始まりです。
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坑道の壁 |
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かつて鉱夫が坑道を削り取った跡。 |
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ジオラマ |
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坑内には展示場があり、当時の採掘作業を伝えるため、人形や道具などが再現展示されている。 |
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坑道 |
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入り口近くは、近年修復されたのだろう、支える木の柱などは新しかった。
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巻き上げ機 |
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当時の巻き上げ機械を再現している。
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コペルニクス |
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ポーランド出身の天文学者、ニコラウス・コペルニクスの像。 |
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キンガ妃の指輪 |
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ヴィエリチカ岩塩抗が、王立の岩塩抗となった発端の出来事、ポーランド王妃キンガの、捨てたはずの指輪が見つかる逸話。 |
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岩塩彫刻 |
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漆黒の闇が包む坑内を照らすのは、松明の灯りや石油ランプ。 |
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坑道 |
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太古の中生代三畳紀頃から始まった、大陸衝突によるアルプス山脈造山運動にて、閉鎖された海が誕生。
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ジオラマ |
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坑内で働いていたのは鉱夫だけではない。
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真っ白な柱 |
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この辺りまで来ると、坑道を支える木の柱には塩が結晶となって付着し、真っ白に。 |
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トロッコの線路 |
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岩塩を運んだであろう、トロッコの線路が残っている。 |
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カジミエシュ3世の像 |
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後ろの説明板によると、この像はカジミエシュ3世、との事。 |
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破砕機 |
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当時の作業を再現している。
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坑道 |
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この辺りの坑道の壁の岩塩はかなり黒っぽい。 |
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地下への階段 |
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更に地下へと階段は続き、下りて行く。
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坑道 |
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初期の頃は採掘では無く、水に溶けた塩分濃度の高い泉や井戸を掘って水を汲み上げ、その水を煮沸・蒸留する事で塩を生産して来た。 |
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岩塩彫刻 |
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坑内に残る岩塩彫刻。 |
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礼拝堂 |
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坑内の所々に、岩盤をくり抜いて祭壇を置いている礼拝堂がある。
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聖キンガ礼拝堂 |
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ヴィエリチカ岩塩坑の最大の見どころ、聖キンガ礼拝堂。
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聖キンガ像 |
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聖キンガ像。 |
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聖キンガ礼拝堂 |
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王妃となったキンガは、ある日故郷に帰省した際に、父とハンガリー王国のマラムレシュにある岩塩坑を訪れた。 |
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聖キンガ礼拝堂 |
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キンガは嫁ぎ先のポーランド王国へ、何か贈り物が無いかを、日々考えていた。 |
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聖キンガ礼拝堂 |
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キンガ王妃は所有権の証として、指から結婚指輪を外し、深い坑道に投げ入れた。 |
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聖キンガ礼拝堂 |
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正にそれは、キンガがハンガリーの岩塩鉱山に捨てた指輪だった。 |
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聖バルバラ |
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岩塩に刻まれた聖バルバラ。 |
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聖キンガ礼拝堂 |
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キンガが王妃の頃、貧しい人々を助け、病人を介護するなどの慈善活動を行った。 |
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聖キンガ礼拝堂 |
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キンガは王国の統治から一切の関わりを捨て、スターリ・ソンチ村の修道院でクララ会の修道女となる。 |
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岩塩彫刻 |
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イタリア・ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁に描かれた、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐の彫刻。 |
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岩塩彫刻 |
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新約聖書にある、キリストが処刑される前の晩、12使徒と一緒に夕食を頂く場面、機密制定の晩餐、をモチーフにした彫刻。 |
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岩塩彫刻 |
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この岩塩彫刻は、イエス・キリストの生涯を描いた場面の一つ、教父たちから教えを受けるキリストの彫刻。 |
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岩塩彫刻 |
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ユダヤ人の祖ヤコブの子、ヨセフは夢を見、天使が現れてこう告げた。 |
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岩塩彫刻 |
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岩塩の壁に刻まれた、宗教的な場面を描いた宗教画のレリーフの数々。 |
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聖キンガ礼拝堂 |
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岩塩を掘った地下空間は美術館とも言える空間。 |
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聖キンガ礼拝堂 |
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聖キンガ礼拝堂の床は、一枚の塩の岩板を彫り出して造られている。 |
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聖キンガ礼拝堂 |
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地下100mの美しい礼拝堂には、一度に400人が祈りを捧げられる空間が広がっている。
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トロッコ |
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トロッコが保存されていた。
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坑内 |
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鉱山内の坑道では天井や側壁が崩れ落ちる、落盤事故の危険が日常的に付きまとう。
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音楽とライトアップのショー |
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坑道内には、掘削した後に水が溜まった地底湖がある。 |
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岩塩彫刻 |
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鉱夫たちが彫った岩塩彫刻のテーマには、鉱山の民間伝承もある。 |
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ユゼフ・ピウスツキの洞窟 |
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ここはユゼフ・ピウスツキの洞窟と呼ばれ、第一次大戦後のポーランド第二共和国の初代国家元首ピウスツキにちなんでいる。
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礼拝堂 |
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13世紀、ポーランド王妃キンガの指輪のエピソードを発端に、ヴィエリチカ岩塩坑の採掘が本格的に始まる。 |
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坑道 |
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採掘権は王国の独占的な権限下となり、ピャスト王朝とその後のヤギェウォ王朝の時代、国家収入の3割は塩がもたらし、ポーランド経済を支える大きな柱の一つとなった。 |
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礼拝堂 |
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とても広々とした、ミサが開かれる礼拝堂。 |
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坑道 |
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鉱山で働く数千人の鉱夫たちは、単なる労働者では無く、社会で尊敬される一員であった。 |
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坑道 |
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ヴィエリチカ岩塩抗はコストの問題や採掘の危険性から、現在は商業採掘は廃止され、観光用となっている。 |
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坑道 |
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めったに見られない地下世界の比類なき美しさは、世界中の観光客の心を強く惹きつける。
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ヴィエリチカ岩塩抗 |
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ヴィエリチカ岩塩坑は当時の坑夫の生活や、信仰心を伝える貴重な場所となっている事から、世界遺産登録となった。 |
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ヴィエリチカ岩塩抗 |
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近くにいたポーランドの男の子。 |
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