トルクメニスタン
アシュガバード |
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ここは中央アジアの国、トルクメニスタン。 |
ニサ遺跡 |
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ここはニサ遺跡。 |
ニサ遺跡 |
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古代都市ニサは2つから構成されている。 |
ニサ遺跡 |
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入り口から旧ニサのエリアへは道が整備されている。
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ニサ遺跡 |
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風化が進む日干し煉瓦の遺跡の南側にはコペット・ダグ山脈が壁の様に立つ。 |
ニサ遺跡 |
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草木が全く見られない、荒涼としたコペット・ダグ山脈。
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ニサ遺跡 |
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アルサケスⅠ世に付いては正確な文献が少なく、あまり明らかになっていない。 |
ニサ遺跡 |
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パルティアとは元々地名で、アレキサンダー大王の家臣、セレウコスⅠ世のセレウコス朝の一つの州、パルティア州を指していた。
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ニサ遺跡 |
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ニサ遺跡から望む、現在のニサの町。
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ニサ遺跡 |
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パルティア王国は最盛期には西はトルコ、東はイランの領域まで支配していた。
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ニサ遺跡 |
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パルティア王国は古代ローマ帝国との争いから、弱体化して行く。
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ニサ遺跡 |
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王宮の巨大な柱。
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ニサ遺跡 |
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民衆が暮らしていた新ニサは、パルティア王国が滅んでからも、後の支配者たちに保護され、街として栄えていた。
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アナウ遺跡 |
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一度アシュガバードに戻り、今度は東へ。
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アナウ遺跡 |
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ペルシア語で新しい水の意味のアビナウから来ているアナウの町の名。
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アナウ遺跡 |
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遺跡から周辺に広がるブッシュの風景。 |
アナウ遺跡 |
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ブッシュの先にも崩れた遺構の一部が残る。
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鉄道 |
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アシュガバードを基地に遺跡巡りを終え、東にあるメルブ遺跡観光の拠点、マリの街を目指す。
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マリ駅 |
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マリに到着。
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マリ駅 |
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マリの街は、トルクメニスタンで4番目に大きな街。
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マリ駅 |
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旧ソ連崩壊後に国有化されたトルクメニスタン鉄道は、国内10路線を持つ鉄道。
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メルブ遺跡 |
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ここはマリの街の近郊、東へ30kほどに残る古代都市遺跡メルブ。
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エルク・カラ |
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メルブ遺跡の内で、東方に位置するエルク・カラ。
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エルク・カラ |
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風化が進み、城壁部分は小高い丘の様になっている。
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エルク・カラ |
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遺跡の周りには砂漠に強い、薄紫の花を付けたヒースが群生していた。
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ハマダーン・モスク |
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エルク・カラから西へ、スルタン・カラへの移動途中、車窓からのハマダーン・モスクの風景。
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スルタン・カラ |
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エルク・カラの西側、メルブ遺跡のスルタン・カラと言われる遺構。
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スルタン・サンジャール廟 |
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スルタン・カラの城壁の中、ほぼ中央に建つ、サイコロの様な真四角の上にドーム状の屋根が乗る、この建物はスルタン・サンジャール廟。 |
スルタン・サンジャール廟 |
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後述する大キズ・カラからの風景。 |
スルタン・サンジャール廟 |
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この霊廟の主、スルタン・サンジャールはイスラム王朝のセルジュク朝の王様。
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スルタン・サンジャール廟 |
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壁の厚さが4mは超える。
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スルタン・サンジャール廟 |
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霊廟内へ入ります。
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キズ・カラ |
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スルタン・サンジャール廟を離れ、西へ。 |
大キズ・カラ |
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キズ・カラは大小の2つがあり、北に大キズ・カラ、南に小キズ・カラが残っていて、こちらは大キズ・カラ。
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大キズ・カラ |
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大キズ・カラの中の風景。
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大キズ・カラ |
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なぜ、この建物が乙女の城塞、と呼ばれているかは不明。 |
大キズ・カラ |
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大キズ・カラにて筆者近影。
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大キズ・カラ |
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キズ・カラ付近を通りがかったロバに乗った青年。 |
大キズ・カラ |
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風化が進む大キズ・カラの土壁。 |
大キズ・カラ |
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大キズ・カラは高さ20mもの大きな建造物だった。 |
大キズ・カラ |
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トルクメニスタンの様にスタンが付く国名の国は、中央アジアを中心に6カ国ある。 |
小キズ・カラ |
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こちらは大キズ・カラから見た小キズ・カラの風景。 |
大キズ・カラ |
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先程、大キズ・カラを通り抜けていったロバに乗った青年。 |
大キズ・カラ |
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何本もの柱状の外壁が特徴的で、かなり奇妙な印象を与える巨大な建造物、大キズ・カラの外観風景。 |
大キズ・カラ |
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古代都市メルブは時代ごとに、町を造り直して大きくなっていったため、さまよえる町と呼ばれた。
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大キズ・カラ |
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古代都市メルブはイスラム王朝セルジューク朝時代に最も繁栄したが、13世紀モンゴル帝国軍に攻め込まれ、町は破壊され廃墟となり、メルブは滅亡した。 |
コペット・ダグ山脈の風景 |
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マリの街から南西へ、トルクメニスタンのサラフスから出国し、陸路イランのマシュハドへ向かいます。
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出国スタンプ |
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出国したサラフスでのトルクメニスタン出国スタンプ。 |